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武丸正助さんは、寛文十一年(1671年)に今の宗像市大字武丸の土師上(はじかみ)というところで生まれました。おとうさんの桜井正三郎さんは、たいへん貧乏で、田や畑をもちませんでしたし、家もよその人から借りて住んでいました。小さな商売や、よその家の手伝いなどをして、やっとくらしをたてていました。正助さんは、二人兄弟で、正助さんには、妹が一人ありました。この妹は、早くお嫁に行きましたので、正助さんは、おとうさんと、おかあさんの三人ぐらしになりました。

けれども、貧乏でどうしてもくらして行けないので、おかあさんと、正助さんは、よその家にやとわれてはたらき、おとうさんをやしないました。家の人が、わかれわかれにくらさなければならないとは、全くつらいことですね。それでも、正助さんは、いっしょうけんめいはたらき、むだづかいをしないで少しずつお金をため、そのお金でわずかばかりの土地を買い、やっと小さい家をたてることができて、おとうさんにすんでもらいました。でも、正助さんは、おとうさんといっしょにくらすことがどうしてもできません。おかあさんも、正助さんも、もとの主人のところにまたやとわれてはたらきました。

  一日も早く、親子三人が、同じ家で楽しくくらそうと、それをめあてに、骨身をおしまず、朝早くから夜おそくまで、はたらいて主人につかえ、少しのひまがあると、山をひらいて畑をつくり、それからとれるもので、おとうさんの好きなものを買ってあげたりしました。正助さんが二十一才になったとき、今までいっしょうけんめいはたらいたおかげで、おかあさんといっしょに主人からひまをもらって、家にかえり、みんなそろってくらすことができるようになりました。みんな、どんなにかうれしかったことでしょうね。

  「ようし、こんどは、もっともっとはたらいて、おとうさん、おかあさんを安心させてあげよう。」と正助さんは心にふかく決心しました。そして田を二十アール(二反)ほど買い、おとうさん、おかあさんをよろこばせました。今までも、正助さんは、何かと気をつけて、できるかぎりの孝行をしてきましたが、これからは、朝も夜もいっしょにくらすことになりましたので、それこそ、かゆい所に手のとどくほどに子として、まごころをおとうさん、おかあさんにささげることとなりました。

  武丸村に正助さんという孝行な人がいると世の中の評判にもなり、黒田藩の殿様からもりっぱなほうびをいただくようになりました。正助さんは、親や主人によくおつかえしたばかりでなく、まるで仏様のように、親切で思いやりの深い人だったのです。









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